事故

 しばらく平穏にすごしていた。2日から妻の娘とその子供2人が来ていた。それで機嫌がよくなったのか、3日に一家で建部神社まで出かけることにした。神社は、わが家から川をすこし下って向こう岸に渡り、ほぼ同じくらいの距離を歩いたところにある。距離は2キロあまりかな。「楽しいな」とルンルンと出かけたのだが、橋を渡ったあたりで足の調子が悪くなってきて、変なビッコ歩きになってしまった。神社に着くころにはすっかりヘバっていて、まっすぐ立って歩けない。休める場所で休んだらちょっとマシになったので、帰り道についたが、途中でいよいよ歩けなくなって、道のそばにあった川岸のベンチに座ろうとしたら、バランスを崩して倒れてしまった。まあゆっくりと倒れたので怪我はなかったが、起き上がるのにすこし手間もかかったし、続きを歩くのにも手間がかかった。どうしたんだろうね。とにかく30分ほど川原のベンチに座って休憩し、そこからゆっくりと帰宅した。

 それからはひたすら眠っていた。昼間も夜も寝ている。4日も5日も寝ていた。6日くらいからすこし起きている時間が増えたが、やはり眠っている時間が多い。楽譜を読む練習をしていたのだが、なんとなく前に進まない。まあ別に急がないんだけれどね。他の応急の仕事ももないし、のんびりすごすしかないかと思って暮らしている。日記だって、今日になってやっと書く気になった。6日に親戚も帰り、7日はのんびりとすごした。あんまり働いたわけではないが、なん日ぶりかで歌曲集を歌った。年末に注文しておいた『イタリア古典歌曲集』が届いたので、当分はなにやかや歌うべき曲がありそうだ。

新年のご挨拶

 あけましておめでとうございます。例年はこんなご挨拶はしないのが普通なのですが、来年同じようにご挨拶できる自信もないし、今年はさせていただきます。だから来年はしないというわけではなくて、元気だったら元気いっぱいにご挨拶するでしょう。ともあれ、1年間よろしくお願い申し上げます。

調弦

 歌を歌い始めた話はこのあいだ書いた。日本の叙情歌(このタイトルはちょっと意味不明だが、童謡と歌謡曲の真ん中あたりの曲をいうのだと勝手に思っている)とシューベルトの歌曲が主たるレパートリーなのだが、もうちょっと色彩の違う曲も歌いたい。しかし、わが家には楽譜がない。楽譜がないのは、初めからなかったのではなくて、途中でなくなった。楽譜だけでなく書物が増えすぎたので、4分の3程度を捨ててしまった。インターネットで必要な譜面は手に入りそうなので、すこしずつ集めていこう。

 曲目選択に偏りがある。もともとかなり偏っていたが、病気をしてから人に遠慮する必要がなくなったので、完全に個人の好みに合わせている。だから「私好み」の音ばかり聞こえる。私じゃない聴衆はいないので、だれにも迷惑をかけないからいいだろう。

瞑想の種

 昨日は『日本ガルチェン協会』の行事があった。今回は大津市内の施設を借りた。今回の内容は『前行』の復習会。『前行』というのは『予習』という感じかな。具体的には、

 1.4つの共通の前行
 2.共通でない前行4種
    つまり帰依・浄化法・マンダラ供養・グルヨーガ
 3。特別の前行

という3つの部分に分れていて、しかも第2の部分が4つの部分に分れている。たとえば、行者は第2の部分の4つのうちひとつを選んで長時間(たとえば1時間)にわたって実習する。そうするとすっかり「できあがって」しまって、チベット瞑想者風に変る。もっとも、実習が終わるともとに戻るので、繰り返し繰り返し実習する必要がある。『帰依』を選択するとすると、それに関連するマントラを合計10万回唱える。その部分に瞑想の時間のほとんどが使われてしまうので、残りの3つ、つまり『浄化法』『マンダラ供養』『グルヨーガ』は軽く済ますが、最終的には10万回唱える。そうすると、瞑想法の全体は

 1.4つの共通の前行
 2.帰依など1つに重点を置く
 3.特別の前行

で成り立つことになる。これでも十分な時間をとってしまう。とにかく「ご苦労さま」な行なのだ

 あまりに「ご苦労さま」なので、性格怠惰な私は普段はやっていない。ドルズィン・リンポチェなどのていねいなお教えは受けたんですよ。それはそれとして、自分ではこの行はしない。その代わりに他の行をやっているので、許していただいている。

 どうやって行を選ぶかだが、「試行錯誤で選ぶ」としか言いようがない。私については、何年かかけて自分がしてもいい瞑想の範囲を決め、その中から現在は『阿弥陀仏』を主尊とする瞑想法をやっている。しばらくやって、『観音菩薩』あるいは『ターラー菩薩』に乗り換えるかもしれないし、あるいは乗り換えないかもしれない。この範囲からは外に出ないと思うな。人生の残りはそう長くないしね。 

 次の大イヴェントは3月15日(日)~22日(日)で、シンガポールからドルズィン・リンポチェがお見えになって『阿弥陀仏』の法会を中心にセッションをされる。

 1.15日(日)       アプチの灌頂と教え
 2.16日・17日(月・火)  マハームドラーの教え
 3.19日~22日(木~日)  阿弥陀仏法会とガムポパの4法

が内容だ。これは迫力がありますよ。お申し込みは日本ガルチェン協会(http://garchen.sakura.ne.jp/)へ。

パソコン復活

 Windows 7 のパソコンをバージョンアップして Windows 10 にしたんだけれど、音響部分が動かなかった。他はすべて動いているので、捨てるのはもったいないし、どうしたもんかなと困っていた。

 たまたま『日本電子機器補修協会 JEMTC』というところが「Windows 10 を収載して役所や大企業で使っていたパソコンを放出する」という会をするんだそうで、宣伝が郵便ポストに入っていた。なんでも1月4日と5日に大津市の役所の一部で販売会をするという。いちおうそれに行く気でいた。まあ、役所に関連の会なら信用できそうだしね。わが家のパソコンは捨ててしまって、そこで買ったパソコンに入れ替えようというわけだ。しかし、うまくいくかなあ。

 ところが、娘が来てくれるということになったので、まずは彼女の意見を聞いてからにすることにした。今日娘が来てくれた。「ともあれ触って見る」ということになって、モソモソ触っていたが、やがて「動いた」と言う。「ええっ」とびっくりしたが、確かに音が出ている。ひええ、直ったんだ。なんだか欠損しているモジュールをインターネットのどこかで探し出してダウンロードしてくれたんだそうだ。いやあ、お手柄!

 これで『電子なんとか』の販売集会は行かなくて済むことになった。つまり、パソコンの買い換えの計画は流産したわけだ。これまでのパソコンにもうひといき働いてもらう。嬉しいな。がんばろうね。

時間つぶし(3)

 シューベルトの歌も歌い始めた。

  野薔薇    (Sah ein Knab ein Roslein stehn)
  至福     (Freuden sonder Zahl)
  子守歌    (Schlafe, schlafe, holder, susser Knabe)
  春の想い   (Die linden Lufte sind er wacht)
  シルヴィアに  (Was ist Silvia, saget an)

 すべて有節の短い歌だが、なかなか情緒がある。日本歌曲を歌うときとは情緒が違っている。どう違っているかと言われると困るんだけれどね。

 トスティの曲集があったと思ったけれど、捨ててしまったみたいだ。あとは大した曲集がない、というか、オペラのスコアばかりだ。そのうち暇な日に楽譜屋さんへ行って探してみよう。しかし、大阪を離れると、楽譜屋さんがどこにあるのかわからない。まあ、探せばなんとかなるだろう。

 とにかく、朝起きてから夜寝るまでの時間の多くの部分を歌を歌ってすごしている。すこしずつ歌い方は上達してきているように思うんだが、さてどうなんだろうか。

時間つぶし(2)

 『日本叙情歌全集』は2巻ある。その他に、シューベルトの歌曲集が3巻と、トスティの歌曲集が2巻あるんじゃないかな。なにはともあれ『日本叙情歌全集』からとりかかって、ほとんどの曲を歌ってしまうことにした。私がもっている本は昭和前半期にはじまって昭和の終りごろまでの曲が集めてある。400曲ほど収載されているんじゃないかな。募集傾向としては、文部省関係の唱歌と歌謡曲のうちで「演歌調」じゃないものだ。偏りがあるといえばあるけれど、ある種の「歌謡好き」には好かれている(「かって好かれていた」と言った方がいいかも)。むかし買って、文部省唱歌の方を歌っていたのだが、今回は歌謡曲を歌うことにした。

 現在歌っている曲は以下のごとし。

  北上夜曲   (匂いやさしい 白百合の)
  北帰行    (窓は夜露に濡れて)
  惜別の歌   (遠き別れに耐えかねて)
  川は流れる  (わくら葉を今日も浮かべて)
  白い想い出  (雪が降ってきた)
  風      (人はだれもただひとり旅に出て)
  北国の春   (白樺、青空、南風)
  青葉城恋歌  (広瀬川流れる岸辺)

 どうです、古臭いでしょう。これらをですね、繰り返し繰り返し歌っている。3日もやると、けっこうマシにはなってくるね。