正しい業を積む

 昨日はまだセッションのうちだったが、今日は完全に自由になった。もっとも、朝から昼すぎまでずっと紙に書いたメモをパソコンに入れて日記の記事を書いていた。午後2時に終わって、すべてをアップロードして、ほっとしてひと寝入りした。

 仏教であるから、最終的には「悟り」を開かなければならない。ただし、煩悩が深すぎて、今生で「悟り」に到着することはとうてい無理だと思われる。そこで2つの選択肢があって、1)今生での「悟り」はあきらめて次生以後に期待するか、2)「悟り」なんか無理だと思って仏教徒であることをやめるか、のどちらかだ。日本人の多くは、結局は2説に走ったみたいで、本気で修業をするのをやめてしまった。私は日本人だが、あきらめが悪くて、「悟り」に向かっての修業を続けようと思っている。そう思って毎日の行為を選択しておれば、陽性の業が蓄積し、陰性の業は減るだろう。この部分は理屈を超えて信じるしかない。理性的に見えながら最終的には理性を超えて超越的になるのは、こういう理屈があるからだ。

 仏教の専門書を読むと、あれこれ面倒なことが書いてある。しかし、あまり気にしないで、さしあたって陽性の業になると思うものを積み重ね、陰性の業になると思うものを繰り返さないようにする。なにしろ話は長くて、無数の業を何百年も何千年も積み重ねていくことを意識している。だから慌てることはない。とにかく「ゆったりとくつろいで」正しい業を生きていくことだ。

7月4日(木)

 ガルチェン・リンポチェご一行をお見送りする。リンポチェたちはヴェトナムのハノイに行かれる。飛行機は朝早くだ。これとは別にドルズィン・リンポチェはシンガポールに帰られる。飛行機は午後遅くだ。というわけで、一同ででかけてガルチェン・リンポチェたちをお見送りして、そこでいったん解散して、空港で6時間あまりをついやした。まあ馬鹿な話をダラダラしていただけのことだ。15:00にドルズィン・リンポチェをお見送りして、すべての用事が終わった。ふう。

 そのまま電車に乗って、京都経由でわが家に帰った。お腹が減ったし、ちょうどいい時間だったので、近所の洋食レストランで夕食をいただいた。やれやれ。帰宅すると、もう仕事をする気力もなく、最低限の用事だけして、さっさと寝ることにした。

7月3日(水)

 リトリートはともあれ無事に終わった。予定は細かく立てられていたみたいだが、現場では次々と予定外のことが起こった。いちいちそれを数えていると、他の仕事ができなくなるくらいだ。しかしまあそれぞれのできごとにていねいに対応して、4日間は終わった。特に最後の「さよならの儀式」は、われわれの教団(つまりアドラー心理学に根ざしてできたグループ)が独自にさせていただいたもので、準備も大急ぎでさせていただいたし、練習もなにもなしに本番に突入した。原稿もなかったけれど、美しくなし終えた。奇跡だと言っていいくらいの出来だった。それも含めて全体を評点すると、どんなに低く採点しても90点代かな、ふっふっふ。最後の儀式だけじゃないよ、4日間のセッション全体の出来だ。

 朝はのんびりして10:30ごろガルチェン・リンポチェの宿へ行った。渡すべき金銭の受け渡しをした。昼をいただいて、宿舎に帰って昼寝をした。元気な妻はなんと外出して、大津のわが家まで荷物を置きに帰った。16:00ごろに帰ってきてひと眠りしていた。17:00に一緒にリンポチェたちのところに行き、夕食の準備をした。何人かの仲間も手伝ってくれた。スープと菜食に加えて牛肉の焼いたものをたくさん作った。18:00からみんなで食事にし。19:00から片付けをして、20:00に最後のサービスを終了した。

7月2日

 毎日07:30から09:00までご本堂(禅堂の隣にある仏さまがおられる部屋)で参加者がご挨拶なさるのの面倒を見させていただく。ご本尊は大きな釈迦牟尼仏で、右(信者から見ると左)に達磨大師、左(信者から見ると右)に弥勒仏を従えておられる。われわれの法事のバックアップにこれらの仏さまがついていただいているわけで、しっかりご挨拶をしてご加護をいただく必要がある。他に用事のない私が毎日お世話をさせていただいている。

 09:00からはガルチェン・リンポチェがターラー菩薩の縁起について話してくださった。12:30まで法話があったが、昨日(3日目)と今日(4日目)は内容が簡単で、われわれでもそれなりに理解できた。

 14:00から15:30はドルズィン・リンポチェのQ&Aセッションで、相変わらずチベット仏教とも仏教そのものとも縁の薄い質問が飛び交っていた。質問者のほとんどはアドラー心理学と関係なくこの会に来た人で、いままでの仏教の学び方に問題があったんだろうね。

 16:00から17:00がガルチェン・リンポチェがもう一回受戒式をされることになった。昨日の受戒式はあらかじめ予告して募集したのだが、迷っているうちに申し込めなかった人がいて、その人たちのためにもう一度受戒式をすることにされたそうだ。その後で、わたしのグループ(つまりアドラー心理学を学んでさらに瞑想を付け加えた人)のお別れの会があった。仏さまともお別れをするが、ガルチェン・リンポチェともこの世ではお別れの会になるかもしれない。さようなら、リンポチェ、ほんとうにありがとうざいました。

 17:00にすべてが終わって、参加者は帰り、私たち(アドラー心理学関係の人)は掃除をした。19:00に終わったが、とてもきれいになった。最後に和尚に来ていただいてご挨拶をした。

 その後、近くのレストランでアジア・中華風の食事をいただいた。やれやれ、重要行事はすべて終わった。

7月1日

 07:00起床。09:00にドルズィン・リンポチェの「聖如意輪ターラー菩薩の長寿修法 マンダラ不死の精髄」という法話がはじまった。昨日までのテキストと違って、たいへん「手慣れた」テキストだ。前半は「自己生起」で行者自身がターラー菩薩に変身し、後半は「他生起」で観察対象が白ターラー菩薩に変身をした。密教らしいまことにめでたい生起法であった。

 午後は全員がターラー菩薩の灌頂をいただいた。それから受戒会があって、はじめて仏教徒になる人が灌頂を受けた。原始仏教以来の儀式で、一生で1回だけ受けることができる。私は7年前だかにガルチェン・リンポチェに戒律をいただいたので、もう受けられない。それでいいのだ。

 18:30から19:30は夕食で、19:30からドルズィン・リンポチェの質疑応答があった。相変わらず散漫な質問であった。まあ、ガルチェン協会の常連さんが質問されることはなくて、初めての方がほとんどだったから、しかたがないのかな。

6月30日(日)

 今日は「ミラレーパの道歌」がテキストだ。通訳の永沢氏は、私は初対面だが、妻は面識があるみたいだ。昨日お願いしたら、なんとかしていただけることになった。私はというと、すこしも不安にならないので、大丈夫だと信じていた。

 初めてお会いして様子を窺うと、大丈夫だ、かならずなんとかしてくださるだろうと確信をいだいた。実際に翻訳がはじまると、ほとんどの場面ではご本人の努力だけで翻訳されていたし、日本語もすばらしい。午前中にガルチェン・リンポチェのセッションが2つあって、ともあれなんとかなった。

 昼前に、明日以後の通訳について相談した。明日の分も永沢氏にOKをいただいた。明後日は当協会の通訳さんがなんとかしてくださるみたいだ。これも、私には何も不安がないので、かならずうまくいくだろう。

 14:00からはドルズィン・リンポチェのQ&Aセッションで、通訳は元来の通訳の目本氏にお願いして勤めていただいた。ドルズィン・リンポチェは訛りを矯正しておられるので(私でもわかる程度の訛りだ)、なんとかなるみたいだ。

 15:30からガルチェン・リンポチェの「ミラレーパの道歌」の話の続きであった。昨日の話もそうだったが、今日の話も抽象的な「たとえ話」について、わかったようなわからぬような説明が続く。無限の暗闇に人々を導いていくようだ。いやいやそうではないよね。私の理解のレベルが低すぎるのだと思う。

 19:30から集会所の隣のネパール料理屋で翻訳チームと何人かのお世話人が食事会をした。19:00からドルズィン・リンポチェの「質疑応答セッション」の続きをした。申し訳ないけれど、ドルズィン・リンポチェのセッションは、質問のレベルが低すぎて、あるいは方向が違いすぎて、聞く気にならない。

6月29日(土)

 今日からガルチェン・リンポチェのセッションだ。不安が実現した。通訳さんがうまく動いてくれない。それどころか、完全に止まってしまって動かなくなる。ガルチェン・リンポチェの訛りがきつすぎて受け取りにくいということもあるが、もっと根源的な問題として、特に今日の法話は中身が新しくて珍しい言い回しがたくさん出てくることだ。さらに具合の悪いことに、録音がちゃんととれていないみたいだ。そもそもその前に教材の「5重の道のMahamudra証悟の歌」が難しすぎる。苦労したが、結局どうにもならず。ドルズィン・リンポチェと相談の上で、明日は別の方をお願いして手助けに来ていただくことにした。ふう。