2019-06-01から1ヶ月間の記事一覧

出発

京都に出かけて7月4日あたりまでいる。ガルチェン・リンポチェをお迎えするのが目的だ。29日(土)~2日(火)までセッションがある。200人近くの信者が集まってくださる。 リンポチェは83歳になられ、海外での法要は今年で終わりになさるんだそうだ。つ…

論争

今日は朝からアドラー心理学を学ぶ仲間2人が来てくれて、来週行なわれるガルチェン・リンポチェの法話に関して打ち合わせをした。「打ち合わせ」といっても、私はほとんど用事はなく、ぼんやりと話を聞いているだけだった。まあ、そういう時代になってしま…

古い暮らし

来週から再来週にかけて、京都でチベット仏教のリトリートがある。ガルチェン・リンポチェという私たちのマスターをお呼びして、4日間にわたって法要をしていただく。その前に数日、その後に数日はおられるので、私としては1週間以上「チベット仏教づけ」…

耐用年数

この世に生まれて数十年はのんびりと暮らしていた。1990年ごろになって「なんだかあわただしい」と思うようになった。1948年の生まれだから、30歳代の後半か40歳代の前半かな。それから「あわただしさ」は年ごとにひどくなり、最近はさっぱり見当がつかない…

香港(3)

論証法の三段論法というものがある。 大前提:敵国から自国を守るためには軍隊を持たなければならない。 小前提:実際に敵国が存在する。 結論:それゆえ軍隊を持たなければならない。 まず「大前提」として、誰もが認めるであろう価値判断がある。これは、…

香港(2)

香港の状態は相変わらずのようだ。林鄭月娥(りんれい・げつが)とかいう女性の総統がテレビの前に姿を現わした。若干の譲歩はしたようだが、民衆が求める条例改正の撤廃は認めていないようだ。どうなるんだろうね。 アメリカの首脳部も記者会見に応じている…

香港

香港で大事件が起こっている。インターネットのニュースで最初に「デモ」の画面を見て以来、どうなるものかと息を呑んでいた。いったん収束したかに見えたが、ふたたび炎上して、いまは200万人(!)の人が道に出ているとか。香港の人口が700万人だというか…

国の中継ぎ

一昨日「国のはじまり」という題名で、史書に書かれている日本の国のはじまりについて書いた。中身はもちろん神話・伝承のたぐいで、考古学的な事実ではない。しかし、事実にもとづいていないことがあきらかな神話・伝承のたぐいをわざわざ大切に伝えてきた…

中休みしかないな

先日の「日本アドラー心理学会中国地方会」の件だけれど、私個人としてはこれ以上介入するのをやめることにした。他の理事やお世話人がどうなさるかは、私は決めることができない。だから、学会内部ではもうすこしモメるのかもしれないし、このあたりで休憩…

国のはじまり

日本アドラー心理学会の問題については、ちゃんとした資料が手に入っていないので、断定的なことはなにも言えない。だからしばらくは黙ることにする。 かわりに日本国の歴史について書いてみる。竹田恒泰氏が書かれた『中学歴史』という本を手に入れた。本文…

中国地方会(3)

中国地方会についてはまだ考慮中。現地からの反応がないので、私としても動きようがない。私の個人的意見はともかくとして、地方会としての意見は、発表者の発表内容は、1)「学会の伝統的解釈にもとづいている」か、2)「学会の伝統的解釈に反している」…

中国地方会(2)

前回が6月8日(土)で、中国地方会に出発する寸前に書いた。その日は鳥取市で泊り、翌日米子市まで行って中国地方会に参加した。地方会の結果は…さあ、どうなんだろう。そもそも記事がちゃんと書けていない。混乱中だ。 表面的にはきわめて「穏当」に話は…

中国地方会

今日から山陰地方に出かける。目的は2つあって、第1は米子市で「日本アドラー心理学会中国地方会」を覗きに行くこと、第2は鳥取市で娘の家を訪問することだ。第2の比重は行ってみないとよくわからない。なにしろ小さな子供たちがいて、その機嫌に合せて…

天皇と歌の流派

光厳上皇(1313年ー1364年)について書いた。伝記を見ると、尊敬するしかない人物なのだが、どういうわけか有名ではない。まあ、時代を考えると当然なのかもしれない。2016年に光厳上皇を主人公のひとりにする時代小説を書いたことがある。上皇の伝記をその…

短歌と瞑想(3)

人間にとって最大のわざわいは人間だ。自然現象による災害などは、人間が引き起こす災いに較べれば、たかが知れている。源平の合戦は全国の武士たちを巻き込んだ大戦争だったが、その後で成立した鎌倉幕府は、強い裁判権を行使することで、百年あまりの期間…

短歌と瞑想(2)

仏教の教えを詠った歌を釈教歌という。昨日、京極為兼の釈教歌をひとつとりあげたが、世の中に釈教歌ほど面白くないものはないことになっている。それは私も賛成なのだが、せっかくひとつ紹介したので、調子に乗ってもういくつか書いてみる。『風雅集』の釈…

短歌と瞑想

短歌の話の続きをする。むかし書いたシリーズをすこし校正したものだ。主題は『玉葉集』と『風雅集』の歌で、実際に書いたのは、この前のシリーズのすこし後の、2016年05月18日からしばらくの間だ。この前と同じように、いまの気分ですこし付け加えたりする。…

小休止

まだもうちょっと書くことがある気もするが、ここらあたりで小休止をする。短歌や古典の話はしばらくお休み。 先週は、月曜日は訪問介護士さんが来て介護してくださった。火曜日・水曜日は予定がなかった。木曜日は学会のスタッフが2人やってきて夕食を一緒…

短歌について(7)

昨日の結論、すなわち、「あの時代の人々みんながそこ(日本の「こころ」)に戻って考えていたなら、戦争はまったく違った展開になっていただろう」というのは、わかりにくいかもしれない。満州事変・支那事変から大東亜戦争にかけての時代には、複数の思惑…

短歌について(6)

保田與重郎が言う「こころ」と「ことがら」の違いをもう少し考えてみる。 開戦の朝の電車に知る知らぬ引き締まりつつ静かなる顔 阿部鳩雨 宣戦のビラに痺(しび)れしごとき街今朝の静けさかつて見ざりき 平井乙麿 どちらも日米開戦を詠った歌だ。短歌や詩を…