香港(3)

 論証法の三段論法というものがある。

  大前提:敵国から自国を守るためには軍隊を持たなければならない。
  小前提:実際に敵国が存在する。
  結論:それゆえ軍隊を持たなければならない。

 まず「大前提」として、誰もが認めるであろう価値判断がある。これは、味方も賛成するけれど、論敵も賛成するような理屈だ。次に「小前提」として、相手と自分との間で意見が一致していない事項がある。それを認めると、大前提に書かれている価値判断が本当でなければならないことになるし、認めないと大前提に含まれている重要事項が否定されてしまう。もし論争の両当事者が大前提を認めているなら、両者が小前提を認めた時点で、結論は1つしかないことになる。

 ところが、現実には、意見が対立する両当事者ともにこの三段論法を認めている。なぜそんなことがおこるかというと、「小前提」の解釈が両当事者で違うからだ。たとえば、上の例では、「敵国」という単語の意味が両当事者で違っている。「OK、じゃあ意味を統一しよう」と人々は言うかもしれないけれど、この部分に関してはそう単純じゃないんだよね。というか、ここが論争の分れ目になるのは、実は「敵国」という単語が違った意味で使われていたからだ。そして、その意味をひとつにまとめることはたぶんできない。

 人間のややこしいやりとりは、結局はこの形の理屈のこねあいだ。たとえば香港の問題を考えてみると、

  大前提:国民が幸福を得るためには自由をもたなければならない。
  小前提:国民の自由が制限されている。
  結論:それゆえ国民が自由をもてるようにしなければならない。

 中国共産党はどうも大前提を認めていないみたいだ。こんな状態で論争していて、民衆側には最終的に勝ち目があるんだろうか。