2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

短歌について(5)

短歌の話をもうすこししよう。保田與重郎が歌人山川京子氏に送った手紙に、次のような一節がある。 それからうたでことがらの説明をして、ことがらを人に理解してもらはうと思ふのは間違つてゐます。ことの説明弁解をせずたゞうたをうたひ、主にこころをのべ…

短歌について(4)

昨日引用した本居宣長の文章を、小林秀雄はたぶん誤読している。 歌は「人情風俗ニツレテ、変易スル」が、歌の変易は、人情風俗の変易の写しではあるまい。前者を後者に還元して了(しま)うことはできない。私達の現実の性情は、変易して消滅する他はないが…

短歌について(3)

今日も昨日までと同じように、『野田俊作の補正項』2016年4月29日を引用しながら書く。ただし若干のコメントを付け加えている。 本居宣長が和歌の徳について、次のようなことを書いている。 今は人の心は偽り飾ることが多いので、歌もまた偽り飾ることが多…

短歌について(2)

保田與重郎の歌の話を続ける。いま掲載している原稿は、実は「写し」であって、オリジナルは『野田俊作の補正項』2016年4月28日(昨日のは27日)にある。若干の手直しをしてある。 保田は独創性を発揮しようとは思っていなくて、基本的には『新古今和歌集』…

短歌について

詩人の保田與重郎が『木丹木母集』(もくたんもくぼしゅう)という変わった名前の歌集を出している。彼の歌集はこれひとつしかないので、探せば容易に見つかるだろう。たとえば新学社版がある。 さゝなみの志賀の山路の春にまよひ一人ながめし花ざかりかな …

智慧と煩悩を超えたもの

チベット瞑想はある種の「テーマ」をもっている。たとえば「智慧と煩悩は本質的には同一だ」とか「迷いと悟りは本質的には同じだ」というようなことだ。問題の立て方がちょっと変っているでしょ。「智慧と煩悩はこれこれが違う」とか「迷いと悟りは本質的に…

瞑想修行

チベット仏教の瞑想仲間が集まって、6月末から7月初に行なう瞑想会の準備をした。 瞑想をして暮らすというのは「奇妙」な習慣だ。大部分の民衆はそんなことなしに無事に暮らしている。ただ一部の衆だけが瞑想をして、自分の「自然な」考えを不思議に思い始…

今日も一日よいお天気だった。料理当番ではなかったので、一日のんびりとコンピュータを見ていた。インターネットで放送を見ていることが多くて、朝は「虎ノ門ニュース」というニュース放送番組、午後は「竹田恒泰チャンネル2」というニュース解説番組を見…

料理当番

昨日の予告通り「鮭の焼き物」を作った。塩鮭用の鮭肉1人あたり1枚、おまけに辛子明太子を付け合わせた。他に、ニンジン・タマネギ・ジャガイモを適量茹で合わせた。味噌汁もおまけ。これだけを休まずに作ると一時間たらずでできるだろうな。実際には、3…

不安のメニュー

口が曲がっているのか、それともその奥にある心が曲がっているのか、人の作ったメニューを見ても、けっしてそのとおりに作らない。食塩を減らして見るなり、砂糖を増やして見るなり、なんなりと自分なりのアイデアを付け加える。それでおいしくなったかどう…

即席ソースの功徳

今日は料理当番日で「鶏手羽先肉のカレー」を作った。鶏手羽先肉は骨のついたものを2人で8本準備したが、実際には3本ずつしか食べず、残りは明日の昼に廻した。 タマネギ 1個 ジャガイモ 小2個 ニンジン 1本 これだけを刻んで茹でる。その間に鶏肉を準…

カウンセラーの継続学習(3)

昨日は朝から夕方まで6時間働いた。こんなにたくさん働いたのは、一昨年いらい久しぶりだ。もっとも私ひとりがエネルギーを使っていたわけではなくて、他の二人の講師もエネルギーを使っていた。他の二人はほぼ「常識的」な線でコメントをくださるので、私…

カウンセラーの継続学習(2)

昨日、琵琶湖のほとりで「アドラー心理学の秘結」という講座をやったが、今日もその続きがあった。体調がよかったので朝から夕方までフルタイムで参加した。実際の事例をどのように扱うかについての、継続学習の会だ。かなり決まり切った「型」ができていて…

カウンセラーの継続学習

昨日まではがんばって働いていたが、今日は精根尽き果ててサボっている。釣りにたとえると、餌を食べすぎたようなものだ。え、よくわからないって? そうかもしれん。昨日までは過量の餌を撒いていた。今日になると、もう餌の量や種類では魚は動かない。釣人…

気力と体力

友人がインターネットに過激なことを書いている。私もそのように考えないこともないのだが、私がなにかいうとそれなりに社会的影響があるかとも思い、あまり明確には書いたり言ったりしてこなかった。その人はそういう「弱点」がないので、言い放題に言って…

真理は中間にある

昨日の記事の続きだが、オリンパス OM-3 というカメラを使っていた時代には、そのカメラに「完璧」を期待することはしないで、絶対的な「美」と絶対的な「醜」の間のどこかで「ほんとうの」写真が撮れていると思っていた。さいわいなことに、OM-3 では「ハズ…

むかしの道具

2009年5月9日の『野田俊作の補正項』に私が書いた記事がある。題名を『予備役召集』という。中身は、その当時持っていた古いカメラの話だ。以下、引用。 電気乾燥機のついた大きなカメラケースをもっていて、その中を整理していた。オリンパス OM-3 という…

日々の暮らし

「ニンニクの芽」をいただいた。長さは20~30センチ程度かな。ちょっと変っているのは、上の端が芽になっていることだ。芽がついていないのなら私が住んでいる地方でもスーパーマーケットなどで売りに出るのだが、こんなにしっかりとした芽がついたのは見た…

質疑応答ファイル

音声ファイルの整理は時間つぶしになるので引き受けている。今日も「質疑応答」の記録を2回分聴かされた。つまり、私の主たる話は終わって、その後の聴衆からの質問に私が答えたものだ。昨日は今日の質疑のもとになった講話を聞かされて、それはそれで面白…

全集を読むかなあ

今日は何もすることがない。そうなると茫然と音楽を聴く。それにも飽きると昼寝をする。この暮らしは、正直に言って得意じゃない。なにかすることができると楽なんだがなあ。 音楽を聴いていて思うのは、聴く曲と聴かない曲がはっきり決まっていて、しかも聴…

鶏もも肉のクリーム煮

今日は夕食当番の日だった。昼前に川向こうのスーパーマーケットにでかけ、買い物の前に近所のファミリー・レストランで昼食にした。ビーフ・ハンバーグの定食をいただいたが、+5~-5の間で採点して+1点くらいかな。そのあとスーパー・マーケットで買…

退屈な日

4月29日に次のように書いた。 インターネットも、目下はおもしろい番組がない。いや、あるのかもしれないけれど、見つけられない。それでぼんやりと画面を見ているだけだ。どうも、世の中が「おもしろく」動いていないということみたいだ。「おもしろく」と…

コーラ煮の未来

今日作ったメニューを次回どうするかという話をした。原理的に考えて、1)二度と同じ(ないし類似の)ものは作らない、2)もう一度まったく同じものを作る、3)同じでもないが類似品でもないものを作る、という三ルートがあって、昨日はもっぱら3につい…

コーラ煮のゆくえ

予定通り「鶏手羽先のコーラ煮」を作った。まあまあこんなものかな。すべてを仕上げて、最後にカレー粉を入れてから、最終的な味調節をしたが、ううん、完璧と言えるのかどうか。なにしろ「プロ」が作ったコーラ煮を一度も食べたことなしに作っているので、…

日々の生活

特別の予定もなく自宅にいた。いや、まったくなかったわけではなくて、リハビリのおばさんが来られて、ちょっとだけムゴい目にあわされた。週に1回だけ来られるのだが、なかなか気が入っている。まあ、ありがたいことではある。 娘とその2人の息子が帰って…

現実期と実現期

自分の人生を「現実期」と「実現期」に分類する。「現実期」というのは、実際の人生で実現したこと、あるいは実現はしていないけれど可能性はあることを言う。「実現期」というのは、ちょっと変った定義だけれど、実際の人生では実現しないだろうが、ある種…

連休の終り

娘とその子供たちは今日で終りで、香川へ向かって旅立った。そちらに父親(=娘の夫)が滞在していて、向こうで落ち合って今夜は一緒に暮らし、明日、車で鳥取に帰るのだそうだ。あまり関心を持っていないので聞かなかったのだが、娘たちが帰ってから妻が言…

建部大社と喫茶去

朝、遅い目に、建部大社(たけべたいしゃ)にお参りすることにした。建部大社は『近江国一宮』であり、古代からこのあたりの根本大社であった。御祭神は日本武尊であり、しかも御生涯の最後の土地を祭った場所である。だから古代にはきわめて「武ばった」場…

仕事の終り?

義理の娘に面接されて、アドラー心理学の自助グループの学び方のコツを尋ねられた。いきなり尋ねるので、びっくりしてしまうんだよね。考えながらなんとか答えた(と思っている)のだが、あんなのでいいのかねえ。録音していたので、そのうちどこかに発表さ…

晴天の日の使い方

妻の娘とその子供たちは今日は神戸方面の動物園にでかけた。話を聴くと、子供たちは動物園に行くのは初めてなんだそうだ。上の子は小学生だが、動物園へ行ったことはないと言う。動物園はいまやめずらしい場所になってしまったのかな。なにはともあれ楽しん…