日中会談

 中国との首脳会談が話題になっている。今日の時点では、たぶん、両側が本音は「話し合いはやめたいな」と思い、しかも建前は熱心に(?)「続けたいな」と見せかけているということだろう。頭のまともな人は、いまや迷わず「中止」を選ぶべきだと思っているが、実際には「自分から」言い出すわけにいかないので、そう簡単に中止できない。面倒なことだ。

 もっともアドラー心理学関係は割り切っていて、「うさん臭い」うちはイヴェントは中止がいいと思いこんでいる。中止にしてどうするのかというと、自宅で「ぶるぶる」しながら暮らす。いや、「ぶるぶる」まではしないかな。なにはともあれ日中首脳会談を打ち切れるなら,悲劇的な結末は来ないだろう。しかし、打ち切れるかなあ。

 とうとう「公立学校は休校」になってしまったよ。これからどうなるんだろうね。

古楽譜の復元(2)

 なぜそんな「古い」音楽を募集し携帯するようになったかだが、これは話が長い。私の音楽の好みがそもそも「そちら」の方に向いていたというのが出発点だ。大学生のころ合唱曲にこり始めて、一年ほどで「古楽」好みになった。古楽といっても幅が広くて、私の場合は十六世紀のフランスの合唱曲が中心であった。これはちゃんと証拠が残っていて、合奏団の指揮者をしていたのだが、三回生のとき、フランス古曲を中心にしたレパートリーを組み立てたことがある。その後、忙しくなって演奏をする機会は減ったのだが、好みは相変わらずフランス古曲だった。そのまま五十年が経って今に至ったわけだ。

 むかしは楽譜がそんなに簡単に手に入らなかったのだが、この五十年(!)の間に世の中は進み、別に店に行かなくても、インターネット経由で買えるようになった。もちろんこういう買い方では、レパートリーも偏るし、手に入らない曲もできる。しかしまあ、それはそれでよろしい。身体が「自由」でないので、楽譜屋さんまで出かけるのだって、いまはとっても大変だ。だから、簡単に手に入る範囲で満足するしかない。それだけで人生の残りの時間は十分に使えるだろう。

古楽譜の復元

 古い日本の歌(童謡や唱歌など)の楽譜をコンピュータに打ち込んで演奏させるという計画にとりかかっていた。「キャ○ン・スコ○メーカー」というソフトを使うと、アルファベットのキーボードで楽譜が打てるようになって、しかもコンピュータに「音」に変換するように頼んでくれる。このソフトはむかしからもっていたが、そんなに大々的に使ったことはなかった。「使う」ったって、たとえば4声部の譜面を準備しておいて、ひとつずつ音を打ち込むだけのことだ。

 たとえば、「ド・ド・ド|レー・ミ・レ|ミ・ミ・ファ|ソー」という風に書くと、コンピュータは「うさぎ|追いし|かの山」というメロディを歌う。そこに伴奏を打ち込むと、ピアノ伴奏つき(別にオルガンでもギターでもいいんだけど)の譜面を作れる。こうしてできた「演奏家」は、一切文句を言わない分、つきあいやすい。もっとも融通はほとんど利かないんだけどね。

 ひとわたり手持ちの譜を打ち込んだので、次は何をしようかと思っていたのだが、西洋の歌を打ち込むことにした。Fine Knaks for Ladies だの An die Musik だのという古い歌をうちこんでみたら、これが結構いけるんですね。ドイツの歌やイタリアの歌やフランスの歌を何曲か作ってみて、楽しみながら歌っている。しかし、これってパソコンなしでは演奏できないんじゃないかな。ま、いいけど。

翻訳の正確さ

 娘が二人いて、上の方が今日やってきた。大阪市内に住んでいて、お昼まで自宅で荷物の受け取りで待っていて、それから出かけたので、わが家へ着いたのは2時前かな。それから6時前までわが家にいて、夕食を食べて帰った。用件は「ガルチェン・リンポチェの講話集」の編集だ。もともとはチベット語で講話されたものを、ヨーロッパ人が英訳し、それを秘書たちが和訳した。娘はコンピュータ関係の印刷をしている会社で働いていて、秘書がもっている原稿をコンピュータが読み取れるように配慮してくれるのだと思う。尊いことだ。

 仏典の翻訳というのは、他の文献と違って、仕上りの正確さが「キモ」になる。まあ、その他の文献だってキモにはなるんだけれど、やっぱり重さが違うよね。今回のものだって、アメリカの流行作家の小説を翻訳するみたいに「気軽」ではない。今日の検討で、たぶん、「縛り首」などの目にあうことは避けられたんじゃないかな。

昼は起きて夜は眠る

 体調が少しよくなってきて、なにはともあれ「昼寝」をしないで一日すごしてみることにした。発病して以来、昼寝をしないで一日をすごした体験がたぶんない。別に「眠い」ということもないのだけれど、なんとなく眠ってしまう。その結果、夜に入って寝る時間になると目がさえて困る。「寝よう」と努力するわけでもないし「寝ないでおこう」と努力するわけでもないのだが、結局12時だの1時だのまで(たぶん)目が覚めている。9時には布団に入るようにしているので、3時間ほどを起きて(あるいは半睡状態で)すごしている。睡眠薬を使うというような「裏技」もありうるのだけれど、そういうのはやめにして、なにはともあれ「正面突破」でやってみることにした。

 ということは、昼間を起きてすごさなければならない。厄介かなと思っていたんだが、そうでもないな。インターネットを見てすごせる時間はそうしてすごすし、ネタが切れたらレコードを聴くし、そのネタも切れたらこれまでに記譜した楽譜を歌う。これでなんとか一日いけた。一晩眠って目が覚めたので、一日目は成功だ。今日も同じようにして一日を過ごす。続きそうならこのペースで暮らしてみよう。

ガルチェン協会

 私が働けなくなったのでアドラー心理学も佛教も妻がすべてを演出してくれるようになった。その妻は今のところ、3月19日から22日に京都で行なわれる「阿弥陀仏法会 Amidewa Retreat」に力を入れている。ドルズィン・リンポチェは15日に来日され、22日まで京都におられ、灌頂や瞑想講座もしていただく。もちろん私も参加させていただくつもりでいる。

 阿弥陀仏は日本では浄土宗や浄土真宗の人々がとりあげて熱心に信仰しておられるが、他の宗派ではそんなに注目されない。しかしこれは日本の特殊事情で、中国でもチベットでも阿弥陀仏を他の佛と切りはなして信仰する筋合いはない。とくにチベット仏教について言うなら、阿弥陀仏とその他の佛を別々に考えることがあまりない。もうすこし狭く、私が信仰する「カギュー派」について言うなら、阿弥陀仏イコール法身佛(抽象的な唯一者としての佛)、観音菩薩イコール報身佛(人々が具体的な信仰対象とする佛)、ターラー菩薩イコール応身佛(われわれの世界に生まれてくださる佛)として信仰している。じゃあその3者は別々の人かというと、そういうわけでもなくて、時と場合によってさまざまの「あらわれ」をなさるのだと認識している。このあたりはややこしい議論があるのだけれど、そんなのは放っておいてかまわないので、「阿弥陀さまを信仰すると、同時に観音さまもターラーさまも信仰したことになるんだって」と理解してくださって、いっこうにかまわない。

 阿弥陀仏観音菩薩も日本では広く受け入れられているが、ターラー菩薩はそれほどでもない。しかしチベットではきわめて人気のある仏さまだ。珍しいのは、ターラー菩薩はただひとりの「女性」の仏さまであることだ。だから女性信者はターラー菩薩に惹かれる人が多い。男性信者だってターラー菩薩を信じてどうということはないので、信者率(なんだ、そりゃあ)はけっこう高い。われわれが企画している「阿弥陀仏法会」は、阿弥陀仏だけでなくて、観音菩薩もターラー菩薩も信仰するし、みんなで「阿弥陀仏大パーティ」を行なおうというような企画だ。

 具体的に言うと、法身佛である阿弥陀さまだけではなくて、観音さまやターラーさまにも同時にお参りをする。いわば「手びろく商い」をさせていただくわけだ。チベット仏教を修行していると言いつつ、実は阿弥陀仏法会だけしか熱心にやっていない人がけっこういるように思う。かく申す私もそのうちのひとりだ。だから、「なにかひとつチベット仏教を」と思われるなら、たしかに妻の言うように、阿弥陀仏法会は「お買い得」かもしれない。お問合せは、http://garchen.sakura.ne.jp まで。お待ちしています。l

妻の誕生日

 実は今日は妻の誕生日だ。昭和○○年1月23日に生まれている。今年で何歳になるのかはヒミツ。うんと若く見せている。

 ところがですね、私は妻の誕生日をすっかり忘れていた。昨日言われて、「おお、いかん!」とびっくりした。私が元気だった時代には、この日にそれなりに「贈り物」をしていた気がするんだけど(どうも記憶がはっきりしない)今年はなにしろ忘れていたし、たとえ覚えていても買いに出れなかった。金銭で「代替」すればいいじゃないかとおっしゃるかもしれないが、この日ばかりは金銭で誤魔化したくない。だから「借り」にしておいて、しかるべき時期になったころに「ひそかに」買いに出て、そっと置いておくかな。

 私の実家では、誕生日はそんなに大きなお祝いはしなかったように思う。夕食に「好み」の食べ物を注文できるくらいかな。私は鶏のステーキを注文することが多かったように思う。お金や品物などの「お祝いもの」はもらわなかった気がするな。結婚してからお祝いの品を交換するようになったが、まあこれはこれでいいだろうという程度のことで続けてきた。

 ともあれ、「妻のすばらしさ」を思い浮かべて、そのうちそれに感謝することにする。具体的な「贈り物」はもうすこし日がたって私が動けるようになってからね。