2019-01-01から1年間の記事一覧

虚詞(2)

『虚詞』が話題になって、さいわいなことに『中国語虚詞辞典』というのが本棚の奥に見つかったので、なんとかなりそうになってきた。しかしなお翻訳をめざしているターラー菩薩の経文はまとまりが悪い。どうしても日本語にならない部分がある。やっているう…

虚詞

火曜日は大学病院、水曜日は特に予定なし、木曜日は妻が大学の聴講で外出し、金曜日は一日ボーッとすごし、昨日は草津まで買い物に行った。この一週間、なんとなく心が慌ただしくて、ここも書けなかった。 いちおうチベット語の本を読んでいるのだが、チベッ…

大学病院

3ヶ月ぶりに大学病院の脳外科にかかってきた。お客はそう多くなかったが、それでも時間がかかって、朝に始まって、終わったら昼休みに入っていた。実質の時間は9時45分から12時15分くらいかな。途中で昼食を食べたりもしているので、比較的のんびりした受…

協力的ライフスタイル(6)

クライエントが本気で神経症的であっても、アドラー心理学の目から見るとたいしたことはない。というか、そもそもクライエントは最初から「飛んで」いない。そこでカウンセラーは、なんらかの方法で「飛んだ」視野から問題を定義しなおす。クライエントがそ…

協力的ライフスタイル(5)

カウンセラーとクライエントの間に競合性ができると、クライエントがカウンセラーに反抗して、かえって健康でない状態に陥ってしまうという話をした。もしカウンセラーが未熟だと、カウンセラーもクライエントに反抗して健康でない状態に陥ってしまう。そう…

協力的ライフスタイル(4)

クライエント役の人とカウンセラー役の人の対話でカウンセリングは動いていく。話が出た最初は目標が合わないが、細かく打ち合わせていると、次第に合ってくる。目標の一致は自然におこるものなのか、両者の(主としてカウンセラーの)恣意によるものなのか…

協力的ライフスタイル(3)

2つ以上のマイナスの早期回想と1つのプラスの早期回想をもらうと、その人のライフスタイルを探しあてるのはそう難しくないという話をした。もっとも、最初に3つの回想をもらって、「では」と言っていきなりあてられるとは限らない。とくにアドラー心理学…

協力的ライフスタイル(2)

昨日は1つだけの早期回想を用いてライフスタイルを考える場合について書いた。しかし、実際のライフスタイル分析では複数の早期回想を使って診断する。なぜかというと、もしライフスタイルが存在するなら、そこからすべての早期回想が出てくるわけで、診断…

協力的ライフスタイル

日本アドラー心理学会の総会は終わった。3日間、「澄んだ」話もあれば「濁った」話もあった。もっとも「濁って」いるからといって、会員の反発を買ったわけでもない。というか、会員は私と同じ基準で演題を「澄んでいる」だの「濁っている」だの区別してな…

ゆるんではいけない?

昨日はアドラー心理学の後輩二人がやってきて、学会の打ち合わせをした。私自身は学会発表はしないので、彼女ら(二人とも女性だ)プラス妻の三人分の発表の下準備を見物するのが仕事だ。みなさんしっかり仕上がっていて問題ないように見えるが、よく聞くと…

親戚

午後に従妹(父の妹の娘)とその娘が来た。特別の用事というわけではなくて、まあ「時候の挨拶」みたいなものだ。いや、そうでもないな。彼女は高校生のころに膝蓋骨を痛めた。それを誤魔化して暮らしてきたのだが、最近調子が悪くて、一月ほど前に手術をし…

ああやれやれ

しばらくここのアプデートをサボっていた。体調が悪かったわけではなくて、かえって良すぎたためだ。先週のある日、妻が「チベット語のプリントを作ってくれない」と言ってきた。中を見ると、80ページだかの量があって、既読の文章も多いが未読の文章もたく…

親の課題

『アドラー心理学の秘訣』-パセージ・プラス-、という名前の合宿研修会が兵庫県の赤穂であったので、出かけてきた。9月21日の午後に開始して、23日の午後まで連続だ。全国の「パセージ・プラス」リーダーさんが集まって実習コースをする。実際の事例をと…

芋煮

しばらく夕食メニューを作らせてもらえなかった。インターネットに出ている食事メニューから適当なのを選んで作っていたのだが、元来「忠実派」ではないので、材料などを適当にアレンジしていた。どうもそれが妻の気に入らなくて、しばらく夕食マスターを免…

裏日記

「チベット仏教裏日記」というようなものを書いている。いや、これは違うね。ほんとうは「チベット仏教陰日記」というべきかな。つまり、チベット仏教の典礼文(毎日のお勤めに使うお経)ができてくるときに、祖師たちがどんなことを考えていたのかを、典礼…

掃除

無線ランの装置が復旧するとともに、すこし手入れをした。たいしたことではないが、「一太郎」をデスクトップに並べたとか、そんなたぐいの「さまつごと」だ。実際上の使い勝手がよくなるわけではないんだけれど、なんとなくスマートになった気もしないでも…

マシン復活

小説の最後の行をアップロードしてから、パソコンの一部が動かなくなった。あれこれ苦労して、3日がかりでやっと復旧した。動かなくなったのは、メール関連のソフトで、原因はたぶんワード・プロセッサの一部の不具合だ。とにかくワード・プロセッサの一部…

影の炎(7)

第七部 最後の合戦 一 夜明けのすこし前に、隣の部屋で物音がしましたので、見に行きました。伊賀の中忍の田代弥五郎殿が来ておられました。 「橋の向こうに北畠の本陣があって、北畠顕能卿が入っておられます。おっしゃっていた紅毛碧眼の行者もおります」 …

影の炎’(6)

第六部 伊勢 一 すこしずつ春になってきましたので、ある日、今後の作戦について話し合いをいたしました。 「わかっていることは少ない。北畠殿のところに天竺聖が入ったというのは、確実だと考えてもよさそうだ。次にかの者がどのように動くかは予測がつか…

影の炎(5)

第五部 熊野 一 実際、そういうことになったのでございます。 翌々日のことでございました。淡路島が見えなくなりましたので、ずいぶん南に下ったのでございましょう。夕方になると、海はすっかり凪いでしまいました。そうなると、水夫たちは仕事がありませ…

影の炎(4)

第四部 法会 一 翌朝のことでございます。朝食の後で、 「伊勢に行くと言ったが、はて、どうして行ったものか。美紗、そなたの仲間に、街道について情報を集めてもらうわけにはいかないか」 と師の御坊はおっしゃいました。難波から伊勢に行くには、玉造神社…

影の炎(3)

第三部 廃帝 一 師の御坊とわたくしは、翌朝の便舟に乗りました。便舟と申しますのは、湖の最北端の塩津の港を出て、主だった港々に寄りながら、大津まで行く乗合船でございます。塩津から大津まで三日かかります。わたくしどもは途中の坂田の港から乗りまし…

影の炎(2)

第二部 修法 一 三日目でございますから、十月九日のことです、師の御坊から知らせがあって、佐々木の殿と会えるように手配せよとのことでございましたので、その日の朝に会っていただきました。 「浄念阿闍梨もご健勝のようで、なによりだ。なんでも、浄阿…

影の炎

『炎の舞』の続編『影の炎』を連載します。むかし『野田俊作の補正項』に連載したことがあって、再掲載です。 第一部 一揆 一 「影はおるか」 と、殿の声が聞こえました。わたくしは、当番のあいだは御殿の天井裏の「影の間」に潜んでおります。殿のお呼びが…

ちょっと休憩

『炎の舞』は終了し、いったん休憩することにしました。なんとなく思いたって書き始め、さまざまの要素を追加しながらできてくるんですが、最初からそんなにはっきりとした方向性があるわけではありません。 文観は実在の人物です。これにたいして浄念は架空…

炎の舞(8)

3. その話はそれまでにして、旅に出ることを申し上げました。すると、 「旅もよかろうが、ここで儂と一緒に修業するのはどうか?」 とおっしゃいますので、 「帝のお近くは、わたくしには窮屈でございます」 と申し上げました。 「そうか。それでは、旅の…

炎の舞(7)

第四章 邪法 1. いっときは平和でございましたが、それからまた戦乱の世になりました。帝にお味方して北条殿を滅ぼした足利殿が帝に背き、さらに足利殿の兄と弟とが内輪もめを始め、わけのわからぬ混乱状態になってしまいました。とうとう帝は都を出て吉野…

炎の舞(6)

3. そうこうしておりますうちに、帝は隠岐の島を抜け出されました。その噂が都に伝わったころのことでございますから、正慶二年(1333年)の三月の終りか四月の初めのころでございましょう、 人はみな不安におののいておりました。源平の合戦の後、蒙古襲…

炎の舞(5)

第三章 戦乱 1. 同じ年に、帝が鎌倉殿に対して軍を起こされ、京を離れて笠置山に立てこもられたのでございます。文観さまが硫黄島へ流されたのが七月で、帝が笠置山に行幸あそばされたのが翌八月のことでございます。帝が京を離れさせられると、鎌倉殿はた…

炎の舞(4)

4. それから三月ほど後の、元徳三年(1331年)五月の何日かでございます。六波羅の役人どもが、文観さまや、修法のお手伝いをなさっていた天台宗の円観上人、忠円僧正を召し捕りました。その上、鎌倉へ護送して、噂によれば、惨い拷問を加えたとかでござい…